「日本ではなぜ福音宣教が実を結ばなかったか」の本から最後の第3の理由について考えます。本書では、三つ目の理由をこのような言葉でまとめています。「クリスチャンを含めた日本人が島国的劣等感の束縛から解放されていないから」 これは、クリスチャンだけの問題ではなく、日本人全体に関わる問題であるけれども、その影響によって伝道の実が結ばなかったのではないかという考察です。なるほど。日本人であること自体が福音を受け入れることを邪魔しているということですね。もしこれが本当なら絶望的であるとも言えます。日本人全体が島国的劣等感から解放されない限り、福音は一向に広がらないだろう、ということになります。
そもそも「島国的劣等感」とはどういうことなのかを考えます。劣等感は、自分より優れた存在の前で、自分が小さく感じ、萎縮してしまっている状態のことです。劣等感のある人は、常に他人と比較をしながら、相対的に自分がより優れているときには安心するけれども、少しでも自分より優っている誰か、何かがあれば、それ以上関わりを持とうとせず、その場から逃げたり、隠れたりします。ひどい場合には、相手を踏みにじることで相対的優越感を感じようとします。 島国的であるということは、外部の影響が少なく、自分たちだけのエコシステムが構築され、批判を免れすい特徴があります。そのような背景で育った日本人は外部から流入した考えを容易には受け入れず、自分より優れたものには警戒心ばかりが先走ります。そのような劣等感から脱する唯一の道はイエス・キリストによる新生です。猿の子孫ではなく、神の子どもとしてのアイデンティティーを得てこそ、島国的劣等感から脱し、真の自由を味わうことができます。