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牧会コラム

#142 牧師不在の時こそ信徒の真価が問われます

聖書における「教会」は「エクレシア(ἐκκλησία)」という言葉で書かれています。その言葉の本来の意味は「呼び集められた人々」で、当時のユダヤ社会においては、政治的意思決定のために集まる市民議会を指す名称として用いられていました。聖書においてイエス様ご自身が「エクレシア」と言う言葉を直接用いられたのは2箇所のみで、どちらもマタイの福音書からで、16:18と18:17にあります。前者の方はよくご存じの「岩の上に、わたしの教会を建てます」と言うところで、教会のことを初めて言及されたところです。

 なので、本来の教会は建物ではなく、そこに集まる人々を指して言う言葉であったと何度も語ってきました。イエス・キリストに呼び集められた人々が集まると、そこが「教会」となるのです。私たちは牧場においてその本来の教会の姿を回復するために努めているわけです。

 時代が過ぎて、教会が制度化されることで、建物を中心とした教会になって行きました。安定した集会、より多くの人々を収容できる、と言う意味では、教会会堂は必要なものです。でも、建物は管理する必要があり、教会の規模にもよりますが、多くの場合には牧師がその役割をも担っているわけです。本来の役割であるみ言葉を教え、信徒を整える働きの上に、会堂を管理することが加えられているわけです。

 しかしながら会堂は、教会のみんなが集まるために存在するものと考えると、その管理、手入れはみんなで行うべきものです。以前、ある先生が言った言葉が思い出されます。「牧師不在の時こそ、信徒の真価が問われます。」いこいのある教会は皆様の教会であることをお忘れなく!