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牧会コラム

#111 父の心

ある食堂に「仏様のことば」と題された文が掲げられていました。副題は「お前はお前で丁度よい」とあり、どんな内容か気になり、じっくり読んでみました。出だしはこんな感じです。「顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい」ふむふむ。聖書の考え方に通じるところがあり、なかなかいいです。つづく言葉には少しばかり違和感を感じます。「幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない」悪かったことと良かったことの間がぼやかされているように感じます。過去の肯定・受け入れようとする姿勢はよいのですが、善悪の区別をなくしてしまうことは容易に受け入れ難いものです。そして、次の文言はどうしても同意することができません。「地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい」仏様は、わたしたちが地獄へ行ったとしても、そこが丁度いいからと言うそうです。仏教においての地獄は、よく目にする地獄絵図で描かれているように、残虐で、ひどい苦しみのあるところだと教えられています。そんなところにいるのに、丁度よいと言われると、さすがに納得できるものではなくなります。

 私たちの天の父は、私たちに良いものを与えることを喜びとされるお方です。なので、人類が地獄に向かって突き進む姿を見て、非常に心を痛めておられるお方です。一人でも多くの人々がイエス・キリストを信じる信仰によって救いを得て、地獄ではなく、天の御国で、ご自身と永遠に共に交わることを願われます。それは、私たちに対する愛の表現であり、父の心なのです。イエス・キリストの十字架のあがないとよみがえりを信じ、そのお方を主と告白し、受け入れることによって、天の御国に入る約束が与えられ、また、天地創造の全能なる神様を父と呼ぶ特権が与えられます。