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牧会コラム

#231 「感謝な人」の分かち合い

先日の家の教会牧会者カンファレンスでは、韓国の牧場の最近の取り組みから学ばされたことがいくつかあります。その一つが「感謝な人」の分かち合いです。これまでも感謝の分かち合いをしてきましたが、「感謝なこと」が中心でした。牧場での感謝の焦点が「こと」から「人」に変わって交わりがより豊かになったと感じます。どうしてでしょうか。

 一つ目の理由は、神さまは「人」を愛されたからです。神さまがひとり子イエス・キリストのいのちを差し出してでも救いたかったのは世の人々でした。世界を「ことば」によって創造されましたが、とりわけ「人」は土を練ってご自身のかたちに造り、鼻に息を吹きかけて命を授けてくださいました。神様の人間に対する愛はそれだけ特別なのです。詩篇記者が歌った言葉の通りです。「人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」(詩篇8:4) 神さまの関心は常に「人」にあります。だから私たちも、出来事よりも人に焦点を当て、感謝を分かち合うのです。

 二つ目の理由は「人=魂」の救いを願うためです。私たちはどんなときにも魂の救いを切に願う人になりたいのです。そのために、私たちの目は常に「人」に向けられている必要があります。人を通して働かれる主に着目し、人のうちに働いて救いに導いてくださる主の御業に目を向けましょう。そうするときに、私たちは心からその魂の救いを願い求めるようになります。どんな人のうちにもある「感謝」を見出せるとき、私たちもともに成長します。今週はどんな「感謝な人」に出会えるでしょうか。