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牧会コラム

#206 ブレーキを踏むべき時があります

オデッセイのリアブレーキがすり減って異音がするとお伝えしましたが、先週、無事に修理をすることができました。初めてお世話になる修理屋さんでしたが、丁寧に対応し、しっかり直していただきました。当然、異音はなくなり、しばらく安心して乗ることができそうです。車を安全に長く乗るためには定期的なメンテナンスが必要です。信仰生活も同じです。今回は信仰生活に「ブレーキ」が必要な時について考えましょう。

 一つ目はスピードが早すぎる時です。信仰は成長し続けることが期待されていますが、早すぎる成長には副作用が付き物です。肉割れを起こしたり、アンバランスな成長になったりしないように、一度ブレーキを踏んでスピードを落とし、成長が追いついていない部分に注力しつつ、全人的な成長を目指していきましょう。二つ目は疲れた時です。信仰生活は生涯に渡って歩むものですが、自分を取り巻く様々な環境の変化によっては疲れを覚えることがあります。その時には少しばかりブレーキを踏んで休息を取ることは知恵のある行動です。最後の三つ目は、罪に陥ってしまった時です。主のため、教会のためにいろんな奉仕ができますが、罪のうちにありつつ奉仕をすることは望ましくありません。奉仕の手を緩め、罪と向き合い、悔改め、主の赦しを祈り求めた後に奉仕をするようにしましょう。それによって自分自身だけでなく、教会を罪から守ることになるのです。

 共通して言えることは、ブレーキを踏むことは「何もしない」ことではなく、み言葉と祈りによって自分を振り返るための時間を割くことだと言えます。そうして信仰生活のマラソンを最後まで走り抜きましょう!