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牧会コラム

#195 信仰の成熟には苦難が必要です!

苦難はすべての宗教が扱っている重要なテーマです。宗教、というもの自体が生み出された背景には、人生の苦難をどう乗り越えるか、あるいは自分ではどうにもできない苦境にどんな「意味付け」をして受け入れて生きるか、という命題ことがあります。例えば、輪廻の思想を持つ仏教では、今世での苦しみを修業によって克服し、輪廻から解脱することを宗教上の目的にしていると言えます。私たちが信じる三位一体の神さまは人々によって生み出された宗教の産物ではありませんが、苦難について最も根本的な意味を教えてくださっています。人生の大きな疑問に対する「解答」を持っていることはクリスチャンの内なる強さの秘訣の一つとも言えます。聖書から学び取れる苦難の三つの類型について考えてみましょう。

 一つ目は、自分の罪に由来するものです。ダビデとパテシェバの姦淫によってイスラエルには大きな罰が降りましたが、ダビデの罪よる苦難であったと言えます。主の前で恥じない正しい道を歩む者はこれらの苦難を受けずに済みます。二つ目は、自然災害等の天地異変によるものです。地震による被害に遭い、大変な苦難を感じているのなら、アダムによる罪の結果としてのろわれた地(創3:17)や終わりの日が近づいている兆し(マルコ13:8など)とみて「目を覚まして」(マルコ13:33)いる時であることを思い起こす機会とします。最後の三つ目は、神さまの試みとしての苦難です。ヨブ記全体のテーマになっていますね。時には理解し難い苦難に遭うけれども、実は神さまのさらなく祝福のプロセスであると理解できます。苦難を受け止め、上手に乗り越えることでクリスチャンは成熟していきます。与えられた苦難を喜び、主の助けを頂きつ、勝利しましょう!