いつも早天の祈りの負担を抱きつつも、いろんな理由をつけて後回しにしていましたが、夏の期間、神さまはいくつかの「声」を通して今が祈りの時であると示されました。主の御心を知ってしまったので、拒むこともできず、渋々ではありますが、早天の祈りを始めました。「祈り会」ではないので、教会の正式な集いではありません。ただ、夫婦が朝の時間に主と交わりし、祈りのうちに主の臨在を体験しつつ、私たちの教会の様々な祈り課題を申し上げて、そして主の委ねる時間として用いています。遅寝遅起きな私なので、本当に「早朝」は難しいと判断、ギリギリ早天と呼べそうな6時スタートとし、1時間ちょっとの祈りを始めました。早天の祈りから与えられた恵みの一部を分かち合いたいと思います。
一つ目には、祈りの時間が「確保」できたことです。祈りは、牧会者だけでなく、すべてのクリスチャンに与えられた特権で祝福ですが、実際には忙しい日常に流されて、祈ることが難しいのが現実ですね。しかし、朝の時間を決めて祈ることで、後にどんなに忙しいことがあっても影響がありません。取り分ける、という意味でも「聖別」しているとも言えますね。二つ目は、祈りに集中できるということ。日中の祈りの時間だと、電話や宅配便など、いろんなことが邪魔をして途切れがちですが、早朝には祈りに集中できます。三つ目は、1日が長く感じることです。いつも6時間ほど睡眠をとっているので、理論上は遅寝遅起きでも1日は同じはず。でも不思議にも早天の後から日課を始めると1日が長く感じるんです。
まだ体が慣れてなくて、早天の後に二度寝する日もありますが、恵みの方が圧倒的に大きいと断言できます!さあ、共に朝を起こしましょう!!