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牧会コラム

#87 主日礼拝は「共同礼拝」です

先週は、使徒の働き2章から、最初の教会は信徒の家に集まって、食事(聖餐)を共にし、主を賛美し、み言葉を学び、交わり、祈っていたということを学びました。それが私たちの目指している「牧場」であることを確認しました。今回は、最初の教会が行っていた最後の項目、すなわち「毎日心を一つに宮に集まっていた」姿から学びたいと思います。

 まず、ここでいう宮はエルサレムの神殿のことを指しています。もっと具体的には、エルサレム神殿東側の「ソロモンの回廊」(使徒5:12)と呼ばれるところに弟子たちは集まっていました。多くの人々が集まる場所だったので、福音を述べ伝えるに適していたことでしょう。

 やがてエルサレムにいるクリスチャンには大きな迫害の時代が訪れます。始まりはステパノの殉教。弟子たちは迫害から逃れ、各地に散ってしまい、エルサレムの神殿に集まることはできなくなります。やがて弟子たちは、週の初めの日(日曜日)に集まるようになっていきました(使徒20:7他)。弟子たちは、迫害を逃れるようにして、家々に、十数人の群れで集まって礼拝を捧げるようになりました。礼拝の中心が家々になって行ったのです。それだけではなく、それらの家の教会に集う弟子たちは、時折大きなグループで礼拝を捧げることもありました。それが、私たちの日曜日に捧げる礼拝、という理解になります。家の教会たちが集まって捧げる礼拝だから「共同礼拝」と呼ぶことができます。まだ、牧場が二つしかない私たちの教会で共同礼拝と呼ぶのは早いかもしれませんが、これからもっとその概念を明確にしていきたいと思います。小さな集まりとしての「牧場」と大きな集まりとしての「共同礼拝」の両輪によって教会は力強く前進していきます。私たちの教会が、イエス様がデザインされた新約教会にさらに近づいていくことを願い、期待しましょう。