真夏日が続いた梅雨の中休みの1週間でした。気温が上がってくると、教会畑地の雑草も元気よく背を伸ばしてきます。草刈りシーズンの到来ですね。睦人兄のご奉仕で3週間ぶりの草刈りができました。高さを合わせてきれいに草刈りされた畑はエメラルドグリーンの宝石のように輝き、フレッシュな草の香りが一面に満たされます。草刈りに励んで良かったと思わされる瞬間です。
広い畑地の隅っこには小さな果樹園がありますね。さくらんぼの木、すももの木、びわの木などがあります。ちょうど今はびわのシーズンで、たくさんのびわの実が採れました。昨年の春に植えた柿の木には小さな実が見えました。一年でしっかり根を下ろして、実を結べるようになったのは立派な成長です。
でも、このコラムで注目したのは、いちじくの木です。教会果樹園には、実は3本のいちじくの木が植えられているのをご存知でしたか。そのうち一番古い木は、開拓翌年の2020年に私が植えたものです。それから毎年立派ないちじくの実を実らせていました。甘くて大粒の実は家内の大好物でした。でも、2023年の秋、数匹のネキリムシに襲われ、枯れ果ててしまいました。残念でしたが、幹を地面から1〜2センチほどの高さでバッサリ切り落としました。やはり中央は空洞で、ネキリムシの怖さを思い知らされました。翌年の春には掘り起こして捨てようと思っていました。でも、その年の夏の終わり頃、バッサリ切られた木の根っこの横から小さな芽が出ているのではありませんか。死んでいると思っていたいちじくの木でしたが、根っこは生きていたんです。そして、幹からではなく、根っこから新しい芽を出して成長を始めたのです。
信仰も同じです。世の中の厳しい試練によって神様から見放された気持ちになることがあります。信仰を捨ててしまいたいと思うこともあります。でも、神様と確かに繋がっている根っこがあれば、またそこから神様への信頼と感謝が芽を出します。どんな時にも神様にしっかりついていれば大丈夫です。