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牧会コラム

#275 生まれた日を共に祝いましょう

5月に誕生日を迎えられた教会家族が多くいます。とりわけ、1歳の特別な誕生日を迎えた子がいますね。教会家族とともに生まれた日のことを覚え、共にお祝いできることはとても嬉しいことです。誕生日を祝うことは、現代では多くの国々で行われていることですが、そもそもどうして生まれた日を祝うのでしょうか。歴史的な根拠があるかは定かではありませんが、キリスト教の価値観から見て、どのような意味があるのかをともに考えてみましょう。

 ①私たちの命は神様から与えられたものであるというのが聖書的理解です。生をいただいたことは偶然によってではなく、神様の特別な意図があってのこと。だから、誕生日のお祝いは、神様から賜った命に感謝する日として受け止めることができます。小さな細胞に命が宿り、数え切れないほどの細胞分裂を繰り返し、人の形をとっていく一連のプロセスは奇跡の連続です。そのように生まれた命をお祝いしないでいられるでしょうか。主に感謝しましょう!

 ②生んでくださった母に感謝を覚える日でもあります。産みの苦しみは言葉で言い表すことが難しいほどに大きなものです。苦しみ自体は2度も味わいたくないことですが、神様からの忘却の恵みが故に、苦しみの記憶は薄れ、生まれた子を初めて抱きしめた喜びだけが残ります。その日を覚えつつ、誰よりも苦労をした母に感謝を覚え、共に祝う誕生日でありたいですね。

 ③一年に一度の特別な祝福の時です。特別なことがなくても、普通に一年を過ごし、もう一つ歳を重ねることができたこと自体が神様からの祝福です。毎日が祝福に相応しい日ですが、365日を代表して、誕生日の日は特別な祝福を覚える日として用いることは非常に喜ばしいことです。

 ④天に近づいている何よりのしるしです。1年ごとに確実に天の御国に入る日が近づいています。だからお祝いしましょう。

 誕生日を迎えられた皆さんを主の御名によって大いに祝福します!