本日の午後よりデボーション学校が始まります。「学校」とは少し大袈裟かもしれませんが、学びの場であることは確かですね。もちろん、主なテーマは「デボーション」です。デボーションとは何かについては学校の中で一緒に学ぶつもりですので、ここではどうしてデボーションを学ぶことをこの四旬節の期間に始めたのかについて考えたいと思います。
四旬節は、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架の上で死なれたことを思い巡らしながら過ごすイースターまでの40日の期間として定め、守ってきた伝統的な教会の暦です。聖書が直接にそうするように命じたものではないので、四旬節を無視したところで特に問題はありません。ただ、イエスさまの死からのよみがえりを記念するイースター(復活節)がより深い感謝と喜びとなるためには、十字架の死について思いを巡らすことは非常に有益なものなのです。
その思い巡らす方法ですが、ただ漠然として自分の思いにふけるのではなく、聖書のみことばを持って主を想うことが望ましい黙想です。そのためには、イエスさまの生涯の出来事を追いかけながら、どのようなことをなされたのか、どうしてそうされたのか、それは自分にとってはどのような意味を持っているのか、そしてそれに応答して私は何をするべきだろうか、ということを黙想しつつ具体的なアクション・プランまで繋げることが正しい黙想のあり方です。そして、そのように思い巡らすことがデボーションの本質なのです。
優れたデボーションは四旬節だけでなく、一年中主の恵みを味わうことができる素晴らしい信仰の歩みです。この機会にぜひデボーションについて学び、習慣づけることによって信仰の飛躍的な成長を期待して行きましょう。