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牧会コラム

#268 正しいデボーションはジレンマを生みます

デボーション学校が始まって3週間が過ぎました。1週目は神さまの属性を聖書から読み取る「知性」に集中しました。2週目は知性を根拠にして神さまとの交わりを深める「霊性」に取り組みました。そして3週目の先週は、神さまとの深い交わりの先に見出された課題を具体的な生き方に反映するアクションプランを立てる「品性」の領域に励みました。いかがだったでしょうか。デボーションによって皆さんの日常をどのように変えられていますか?平安を得ましたか?チャレンジを受けましたか?それとも「ジレンマ」を感じていますか?もし、デボーション学校で学んだことをまっすぐに取り組まれたのなら、「ジレンマ」を感じていることかと思います。どうしてでしょうか?

 デボーションの究極的な目的は、三位一体の主の声を聞き、御心を知り、それを行う者になるということです。クラスで使った表現を用いると「全人格的クリスチャンとして成長するための訓練」であると言えます。別の言葉で言い表すと「主のみ声を聞き、従う訓練」であると言いました。主のみ声を聞くことは私たちの信仰の領域を別次元へと成長させてくれます。別次元に移るのだから、前の次元にまだ留まっている、あるいは留まろうとする自分との葛藤が生まれます。それがジレンマの原因です。 私の人生に最も大きな影響を与え、信仰の転機となった本があります。ジョイ・ドーソン(Joy Dawson)の「Forever Ruined for the Ordinary」という本です。日本語訳はありませんが、タイトルの意味は「平凡な人生が永遠に台無しにされた」です。要は、主の声を聞き始めると、人生が平凡ではなくなるのだと言います。なぜならジレンマを感じつつも、何が正しいのかを知ってしまったからなんですね。そして、最後の一歩の決断によって飛躍的な信仰の成長を遂げることができます。さぁ、ジレンマの前で主にどう応答しますか?