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牧会コラム

#242 言語を乗り越えて与えられる賛美の恵み

私たちの教会の礼拝に参加される方々は日本語を母国語する方々が大半を占めています。日本に建てられた、ごく一般的な日本の教会であるので、ある意味当然なことかもしれません。そのことを、外国人である私は常に意識しつつ、普通の日本の方々にとって最も快適で、言語的な不便がないように配慮に努めています。それでも、どうしても「外国の香り」を放っているところは多々あるかもしれません。そのことを意に介さずに受け入れてくださっている皆さまに改めて感謝を表します。

 自然な日本語を用いるために最善を尽くしても、どうして不自然な言葉と感じ取られてしまうものがありますが、それは「賛美の歌詞」です。とりわけ、日本語以外の言葉で書かれた歌詞を日本語に訳して歌うことの難しさを実感しています。そのため、賛美の翻訳は特別な領域であるよう思えます。それは、音符に合わせて限られた字数(あるいは音節)で本来の歌詞を表現し、かつ自然な言葉で表現しなければならないという制限があるからです。そのため、不自然な日本語になっていたり、あるいはメロディーが変わってしまったりすることがあります。それでは、外国語で作詞・作曲された曲を訳して歌うメリットはどこにあるでしょうか。それは、国を超えて同じ賛美が歌える喜びが味わえることです。また、言語を超えた主の恵みがあるのだと実感させられるところです。他民族の音楽的多様性から創造主の広さと深さを感じ取ることができるからです。

 言語と民族を超えて共に主を賛美することの恵みを味わいながら、万物の創造主なる主にふれ、栄光を捧げる賛美を共に歌いましょう!