教会開拓当初から私たちの教会では基礎献金の10%を宣教献金として捧げてきました。基礎献金とは月定献金、席上献金、感謝献金という3種類の献金を合わせたものを指しています。まだ献金額において規模の小さい私たちの教会にとって全体の7割以上を占める基礎献金から1割を取り分けることは相当の犠牲と覚悟を意味します。それなのに、そこに留まらず、20%にまでその割合を増やしていきたいと願っているのです。どうしてそこまで宣教献金を捧げるべきでしょうか。
①1割は十分の一、すなわち什一献金を意味します。十分の一は私たちに与えられたものから「聖別」して主に捧げることを意味し、それによって全体が祝福されます。しかし、十分の一に限定することを意味せず、より多く捧げることによって、より多くの恵みを体験できるのです。②教会としても「手放す」訓練が必要です。宣教献金は私たちのもとには戻らない捧げ物です。つまり「お返し」を期待できないということです。これこそが最も素晴らしい捧げ物なのです。③私たちのうち、誰一人として直間接的に宣教師たちにお世話になったことのない人はいません。宣教師たちを通して私たちに聖書、つまり福音が届けられて、私たちは真理を知り、救いの恵みが与えられました。今度は私たちが宣教師を送り出し、支え、彼らを通して誰かに福音を届けていくべきです。
20%の目標は、これらの目的をさらに強め、より深い主の祝福を体験する場へと私たちを導いてくれます。2割を捧げても教会の営みに影響のないような豊かさを祈り求めましょう。皆さまには毎月少額でも宣教献金を捧げるようチャレンジします!福音が地の果てにまで届けられるため!!