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牧会コラム

#179 子どもたちは教会の宝物です!

こどもの日が近づくたびに、子どもたちのために何をしてあげたら良いかと色々と悩みます。できるものならば大きなプレゼントでもあげたい気持ちですが、現実的に難しく、私たちにできる最善のことをしてあげたいと願います。それは使徒の働き3章6節にあるように、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって」子どもたちを大いに祝福することです! 子どもたちへの祝福の言葉は決して「口先だけ」のものではありません。私たちが放った言葉には力があります。なぜならその言葉は「鍵」となり、天の窓を開いて大きな祝福をもたらすことも、その逆もできるからです(マタイ16:19)。 主は私たちの心と口から出る願いと祈りを聞き届けてくださっています。

 しかしながら、たくさんの祝福の言葉を述べながらも、何もしない、というのも望ましいとは言えません。ヤコブ書2章15-16節にあるように、配慮ある優しい言葉とそれに伴うある程度の「行動」が求められます。何か大きなことではなく、子どもたちのためのジュース一本でも、アイスクリーム一個でも、大きな喜びとなります。それは、言葉の祝福だけではなく、その言葉を成し遂げていく者となることで、私たち自身が祝福の良き管となるからです。主の祝福を送り届ける者となること、それによって主に喜ばれるしもべとなることは、私たちが節に臨むことですね。

 どうしてそこまでして子どもたちを祝福するのでしょうか。それは、それほどの価値があるからです。教会に来ている子どもたちは、どのような家庭環境に置かれていようとも、親がどのような人であろうとも、彼らの存在それ自体が神様の目に尊い「宝物」なのです!(イザヤ43:4)