4月末からの緊急警戒宣言、5月からの蔓延防止等重点措置によって愛餐の交わりが余儀なく中断されてからちょうど2ヶ月が経ちました。礼拝後に食事の交わりができないまま帰途につくことがこれほど寂しいものだったか、改めて思わされていることかと思います。ここで、私たちの教会で愛餐の交わりを行なっている意義について改めて考えたいと思います。
①一つ目の意義は、単に新約教会がそうしていたからです。私たちの教会は新約教会の回復を願っています。そのために、使徒の働きに描写されている教会の姿をより忠実に再現し、それによってイエス様がデザインされた教会本来の姿を取り戻そうと努めています。その時代のことが描かれた聖書箇所を見ると、クリスチャンたちは家々に集まって礼拝を捧げるときに、必ずと言っていいほど「パン割き」を行っていました。これは、聖餐と愛餐の両方の意味を持っています。食卓に必ず出されるパンとぶどう酒を持って毎回の食事においてイエス・キリストを記念したのです。
②二つ目の意義は、教会が家族共同体であることを確認することにあります。家の教会ミニストリーを始められたチェ・ヨンギ師は「お客さんには茶菓子を出すが、家族には食事を出す」と言っていましたが、その通りだと思います。家族だから一緒に食事をするのは当然のことですが、一緒に食事をしていると家族的な思いが芽生えてくることも事実なのです。信仰によって神の家族となったことを食事の交わりを通して実感します。
③三つ目の意義は、より長く教会に居ていただくことです。礼拝後に食事をいただき、食後のデザートにコーヒーと続くと、自然と滞在時間が長くなります。お腹が満たされると心に余裕ができるので、交わりも豊かになります。主の日には教会で1日をゆったりと過ごしていただくことで、キリストにあって真の「いこい」を味わっていただきたいと願います。